【再掲】講演「千年続く二宮をつくるには」レポート(後編)

2021年5月15日(土)、神奈川県中郡二宮町におきまして開催された、エコフェスタにのみや2021の特別イベント「ぼくたちわたしたちの地球会議」のなかで、「千年続く二宮をつくるには」という講演が開催されました。

このレポートでは、当日の録音された音声を元に、加筆修正して書き起こしたものです。

*2021年5月29日に公開された記事を、2023年5月12日に再掲しました。

<前編はこちらから>

これから千年続く二宮ってことを考えた時に、大事なことの一つは、とにかく、山と川というのが二宮にはあるわけですから、これをみんなの手で、こまめに手入れをしていく、ということですね。

こまめに手入れすることによって、もともと水が豊かなところだから、水が流れる道筋を作ってあげれば、水が巡るようになります。逆に、水が豊かだからこそ水をせきとめちゃったら、水が流れなくなって、水が腐っていくんです。水が腐ると、土が腐って、それで山が崩れていきます。

だから、水を巡らせてあげるというのが、とても大事です。そのためには、こまめな手入れです。みんなで、子どもでもできることで、スコップで水の道を作ってあげる。水路が葉っぱや枝で埋もれていたら、みんなでそれをどかしてあげる。そういうことをやるだけで、全然変わってくるんです。

みんなで手入れするということを考えた時に、参考になる例があります。

これは、愛知県岡崎市なんですけれども、岡崎市には乙川(おとがわ)という川があって、今日もこれから出てくると思うんですけれども、「葛川をきれいにする会」のような、乙川を掃除する会の人達がいたんですね。

これはお年を召した方が中心の会だったのですが、ある日そこに、小学1年生の海野あおいくんという子が参加したんです。で、この川掃除をやってみたら、むっちゃ楽しいと。ごみ拾いなんだけれど、ごみ拾いでなかく、これは宝探しだ!と、その子が言ったんですね。

岡崎の人たちがえらかったのは、それをそのままにせずに、みんなで「じゃあ、宝探しとしてやろうよ」ということになった。この子をリーダーにして、やりたいようにどんどんやらせてあげることにしたんです。それで今この活動はむちゃくちゃ盛り上がっていて、たとえばこの、「River Clean」というロゴなんかも、この子が描いたイラストを、大人が整えてあげて、こういうグッズにして、売ったり。そういうことをやってこの活動がどんどん盛り上がってきているんですね。

なので、ここで大事なのは、手入れをやるっという時に、みんなでとにかく楽しもうということです。楽しむために大事なのは、さきほども冒頭の挨拶のなかで、「いろんな団体に行ったら、おじいちゃん、おばあちゃんばっかりだった」という話がありましたが、やってくれている方々の年代が、とても高い方ばかりに偏ってしまっているんです。

みんんが楽しく、子どもも、続けたくなるような、幅広い年代が参加して、楽しい感じでやれば、みんなで続けられる。3万人の町民がみんなで手入れしたら、二宮はほんとうによくなります。色んな所がとてもきれいになっていって、水も巡って、とても豊かな町になっていくでしょう。

ですから、とにかく、生き残るという意味で、最低限、山と川をきちんとしましょう、水を手にいれましょうという、それは大事なんですけれども、同時に「楽しむ」ということがキーワードです。この二宮という町は、町としては、よほどの大噴火がなければ、少なくともこれから1000年は続くでしょう。でも、だいじなことはそこで町が続いているというだけではなく、やっぱり、みんなが豊かで楽しく生きていけるということですよね。だから、そういう豊かで楽しい町であり続けるためにどうすれば良いのかということをもう少し後半で考えていこうと思います。 

豊かで楽しい町の条件

では、豊かで楽しい町の条件ってなんだろうと。私もいろんな町を見てきました。子どもともいろんなところへ行きましたし、自分でも仕事でもいろんなところへ行きます。そういう中で豊かで楽しい町の条件って、いくつかあるなあと思うようになりました。たとえば、二宮で、豊かだなあって感じるようなことを見ていきましょうか。

たとえば、二宮町の人気のパン屋さん、ブーランジェリーヤマシタさん。山下パンとも言われて親しまれています。みなさん、大ファンですよね。

こちらは、豆友さんのピーナッツですけれども、こちらももう、100年以上続いていますよね、豆友さんも。

そして、カイズキッチンの定食があったり、

みかん山があったり。

あとは、ぼくは一番最初に二宮に来て感心したのは、このみそぎ祭です。川勾神社の例大祭で、すごく古い祭り。おもしろい祭りの伝統が続いている。

また、このようなものや行事だけではなく、やはり、自分が信頼できる仲間がいるということが大きなポイントになりますね。子どもにとっても、たとえばうちの子どもは、魚が大好きなので、いろいろな魚にくわしく調理の技術が確かな、カイズキッチンの甲斐さんのことをとても気に入ってるんですけども、なんかすごくおもしろい大人がいるとか、やはり、「人」というのは、豊かで楽しい町を考える上で、とても重要な要素なんだろうなと思っています。

当然、家族もそうです。

やはり豊かで楽しい町の条件は何かと見ていくと、まず、豊かな水があるということ。ぼくはいろんな町を見てきて、町の豊かさの条件てなんだろうと考えると、やはり、豊かな水があるということと美味しい食材があるということはとても大事な前提条件だなと。

あと、ここにしかないものですよね。山下パンとか。それと、さきほどの祭りのように長く続いてきたもの。大事なのはそれだけではなくて、当然、素敵な人がいて、愛すべき仲間がいる。こういう町というのが、自分にとって、とても豊かで楽しい町なんだろうなと思うわけです。そういう町を作っていきたいですよね。  

魅力的なものはたくさんあった

実は、二宮の歴史を掘り起こすと、今言ったことに照らしても、本当に豊かなものがいっぱいあったんです。

二宮には、塩海橋ってありますけれども、あそこはもともと塩田でした。塩を作っていたんですね。戦後まで作っていたと聞いています。もう、今は能登半島にしか残っていないこの揚げ浜法という、砂浜に海水を撒いて作る、このやり方で塩を作っていたそうです。もともとは。

実は養蚕もすごく盛んなところでした。神奈川県でも二宮は有数の蚕の産地だったわけです。それで蚕の試験場もあったんですよね。

ヤマニ醤油さんという醤油蔵が、山西にありますけれども、あそこも今は、細々とやっているみたいなんですけれども、実は、7-8年前まで木桶で醤油を作っていたそうです。木桶で醤油を作っているところは、全国でもほんの少ししかないんですが、実は本物の醤油が実は二宮にはあったんです。残念ながら、もう今は、木桶では作ってないみたいですね。

あとはこの、市五郎丸さんの地引網。こちらは、子どもリポーターの訪問先なので、あとでレポートがあると思いますが、地引網は昔はもうざっくざく穫れたわけです。いまよりも。

だから、ほんとうは、二宮には、すごく豊かなものがいっぱいあったんですね。

「古来」は「未来」

もうひとつ、それだけじゃなくて、この地域を見てて、この「古来」ずーっと続いてきたものっていうのは、実は「未来」だなと最近思うことをについておはなししますね。

たとえば、最近僕が出会って感動したのは、この和ろうそくです。この和ろうそくの職人と出会って、感動したんですけれども。和ろうそくって何かというと、櫨(はぜ)の木から作るんです。では、普通のろうそくは何からできているかと言うと、石油から作っています。石油からパラフィンっていう物質を抽出して、それで作っているんですけど、和ろうそくは、櫨の木から作ってて、これが良いのは、石油から作ってないのでにおいがしない。すすが出ない。また、あまりだらだら垂れない。炎もとても芯が太いのは大きくて、みなさん、仏壇持ってたら、和ろうそくをつけてみるとすごくいいですよ。心が落ち着きます。

こういうものって、かつては、日本中で作ってたわけです。二宮で和ろうそくの職人がいたかは、知らないですけれども。櫨の木なんて日本全国どこでも育てられる。このように、もともと木とか竹で作っていたものが、どんどん今石油に変わってきていますけれども、二宮はこれだけ里山もあるんだから、もともと木とか竹で作っていたものを、もっと地域の資源を使ってやっていく。それが石油をつかわなくなることにつながって、地球温暖化を防止することにつながるわけです。

だから、ずっと日本人が昔から続けてきたようなことを、二宮でもできるようなことってもっと増やしていくことによって、ぼくたちは、この二宮だけじゃなくて、地球自体を持続可能なものにすることができる。そういう足元から、どんどんやれることがあって、この「古来」の中に、実は「未来」のヒントがいっぱいあるんじゃないかと、思ってるわけですね。

お手本はコペンハーゲンなどで始まっている「エディブルシティ」

たとえばこのコペンハーゲン。公共の果樹ということで、街全体を果樹園にしようということをやっています。いたるところに果樹を植えて、その果樹を誰が食べてもいい。貧しい人も、町の人でも、町を訪れる人も、誰でも食べていい。二宮は果樹の町じゃないですか。僕、二宮来て思ったんですけれども、東海道というのは昔、街路樹というか、大磯のあたりは、けっこう松の木があって。並木があったわけですね。でも、今国道1号線ってなにもない。真夏は国道沿いは暑くて大変なんですけれども、たとえば、国道1号線沿いにいろんな果樹の木が植わっててそれを誰が食べても良くて、とかね。葛川沿いだっていいです。いくらでも植えるところがいっぱいある。そういうふうにしたいなあと思うし、

それは実は今、エディブルシティと言われるようになっています。エディブルというのは、食べられるっていう意味ですが、食べられる町というのは、実は、欧米ではすごく流行り始めていて、アメリカでもコンクリート張ってたところを剥がして、できるだけ野菜を作ろう、果樹を作ろう、果物作ろうということをことが今、世界各地で始まっています。

まとめます。豊かで楽しい二宮、これから続く千年の二宮を作っていくときに、大事なことはいくつかあるなあと。

さきほど言ったことにくわえて、下町って国道1号線沿いは、ぜんぶ職人の町だったそうです。かつて二宮では、二宮の人が必要なものは、全部二宮の町内で調達できたんですね。そういうような形で、かつてあった手仕事をどんどん、取り戻していこうと。その時に、さっきの和ろうそくじゃないですけれども、山とか海とか川の資源を、暮らしに活かせるような、これはエネルギーもそうです。そうやって、できるだけ山や海の、この自然の資源を使って、暮らしていく。それができるような、ポテンシャルが二宮にはあるわけですね。それでもっと楽しくするには、いたるところで果樹とか野菜を育てて、誰でも食べていいようにすれば、誰も飢えないですよね。

大事なのは、できるだけ地域の中でお金を回すということです。地域の中でお金を回すというのはどういうことかというと、パンを買う時に、山下パンさんで買えば、二宮町民の収入になります。それを、スーパーマーケットの悪口を言うわけじゃないけど、スーパーマーケットに入っているパン屋さんで買うと、そのスーパーは東京の資本だから、東京にお金が行っちゃうわけです。

二宮の今の、経済構造を見ていると、二宮は外でけっこうお金を稼ぐ人が多くて、すごく豊かです。平均所得は高いです。でも、そうやって二宮で貯まってるお金の半分以上は二宮の外に出ていっています。これじゃ町が豊かになるわけがないんです。だからできるだけ、町の人がやっているお店でお金を使う。そうすることで、町で手仕事をやっている人たちが仕事ができてくるみたいに、循環が生まれてくる。そうすれば、二宮っていうのは、とても豊かで楽しい町になっていくだろうなと思います。

つまり、お金の使い方ですね。買う時にどこで買うか。同じ野菜を買うんだったら、スーパーじゃなくて、地元の商店で買おうということをすることによって、結果として町がよくなって行くのだということを知って頂ければと思います。

私が話したかったのは以上です。子どもたちも飽きてきているね。ごめんねー。

なので、ここで私の話は終わりたいと思います。この後は、本日のメインイベントである、子どもたちからのレポートに移りたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

<終わり>

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