【再掲】講演「千年続く二宮をつくるには」レポート(前編)

2021年5月15日(土)、神奈川県中郡二宮町におきまして開催された、エコフェスタにのみや2021の特別イベント「ぼくたちわたしたちの地球会議」のなかで、「千年続く二宮をつくるには」という講演が開催されました。

このレポートは、当日の録音された音声を元に、加筆修正して書き起こされたものです。

*2021年5月29日に公開された記事を、2023年5月12日に再掲しました。

二宮での暮らしがヒントになった「日本列島回復論」

スピーカーは、二宮町在住の、井上岳一(たけかず)さん井上さんは東京の大学を出た後、農林水産省の林野庁で森林・林業・山村政策づくりに関わります。その後、アメリカ留学やイタリア系の家具会社への転職を経て、現在は日本総合研究所に勤務。人口が減り続ける中でも持続可能な地域社会のデザインをテーマに、研究・実践をされています。

一昨年末、その成果を『日本列島回復論』にまとめ、この国の未来についての提言をされました。二宮での暮らしから多くのヒントを得て書いた本だそうです。

日本列島回復論 : この国で生き続けるために (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2019/10/24

千年続く二宮の成り立ち

ただいま、ご紹介にあずかりました、井上岳一(たけかず)と申します。二宮町下町に住んでおります。 二宮に住んで8年になります。

今日は子どもリポーターということで、子どもを中心においているイベントです。なので、大人のわたしがしゃしゃり出るべき場ではないのですけれども、子どもたちに知っておいてほしいことを、お話をしたいなと思います。できるだけわかりやすく話そうと思いますので、子どもたちもしっかり聞いてくれたいいなと思います。

「千年続く二宮をつくるには」というタイトルにしたんですけれども、それは、私がここに住み始めて、二宮という町は、すごく古い町だということに気がついたからです。

1000年以上前から、二宮はあるのですけれども、それでは、二宮というのは、どういうふうに成り立ってきているのか、大地の視点など少し大きな視点からまずは考えてみたいと思います。

わたしたちが住んでいる二宮というのは、実はとても特殊な場所で、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート、オホーツクプレート、太平洋プレート、という4つのプレートが交わるところに、二宮を含むこの西湘地域があるのです。

それで、このプレートがどうなっているかというと、プレートは動いているんです。プレートは動いていて、実はプレートの上に島が乗っかっていて、それがどんどん日本列島のほうに来ているわけです。フィリピン海プレートの上に乗ってやってきた小さな島、それが日本列島にぶつかって丹沢になります。そのあと、伊豆半島がぶつかります。丹沢がぶつかって、伊豆半島がどーんってぶつかって、それでぶつかった勢いで、富士山や箱根ができているわけですね。そして、フィリピン海プレートはユーラシアプレートの下にもぐりこんでいるから、そこでマグマが噴き出して、火山になる。二宮というのは、こういう場所にあるわけですね。

これを、写真で見てみましょう。少し写真がわかりにくいかもしれませんが、2本のオレンジの線で挟まれているところが丹沢で、ちょうど上の線のところにぶつかった跡というか、切れ目があるのがわかると思います。それで、伊豆半島がぶつかったときの切れ目が下の線のあたりだろうと。二宮はこの赤丸のあたり。大磯丘陵と言われているこの場所に、わたしたちは住んでいるわけです。大地の視点から見ると、こういう成り立ちになっています。

そして、二宮のこのあたりの地域は、実は1万年以上前、1万数千年以上前から人が住んでいたところだと言われています。その頃の遺跡もいっぱい見つかっています。これは、縄文時代のイメージイラストで、実際にこの地域での暮らしがこんなだったかどうかはわからないのですけれども、海の近くだし、近い感じではなかったのかと思いました。

このように縄文時代から人はずっと住んでいたのですが、歴史として記述されるようになるのはここ2000年くらいです。皆さんもご存知の川勾神社は、2000年前に創建されたということになっています。

宮司さんをやっている二見さんは、1200年前から二宮に住んでいらっしゃるそうです。41代続いています。

きちんと文化があるかたちで人が住み始めて、少なくとも1000年以上二宮は続いています。約1000年前に編まれた万葉集にもこのあたりが「こゆるぎの浜」として歌われているということが、吾妻山の山頂の石碑にも書いてありますよね。

それでは、この1000年以上続いてきた二宮が、これからまた1000年、続くためにどんなことが必要なのか、ということを今日はちょっと考えてみたいなと思います。

逆に言うと、1000年続かないリスクってなんなんだ?ということですよね。まずはそこから考えてみましょう。

最初に考えるのは、やはり地震ですよね。

二宮における、地震、津波、富士山噴火のリスクを考えてみる

先ほどプレートの話をしましたが、4つのプレートがぶつかってところなので、大地の裂け目である断層、地震の原因になるものですが、が多いのがこの地域の特徴です。地図の上の赤い線は全て活断層です。

二宮の場所は、赤矢印のところですが、すぐとなりに⑧番という活断層があります。これは、国府津・松田断層といって、国府津にある断層です。その上には、⑰番の秦野断層があって、もう、見て頂ければわかる通り、活断層だらけなのです。そのため、地震はすごくあります。海に⑭番の赤い線がありますよね。これが相模トラフというもので、フィリピン海プレートとオホーツク海プレートの境目です。関東大震災は、実はこの相模トラフが原因で起きています。

では関東大震災が二宮にはどういう被害をもたらしたかなのですが、ほぼ、6割以上の家が全壊または半壊で、死者は25人、負傷者は26人ぐらいなので、家は確かに壊れたのですが、そんなに亡くならなかったかなあというように思います。

関東大震災でその程度なのですが、地震で怖いのは津波ですよね。

津波については、こちらの図をご覧ください。これ(左側の白抜きの矢印)を見ると、海岸沿いが段差になって高くなっているんですが、わかりますか?段丘と言います。

このあたりの段丘は非常に古いもので、標高20メートルくらいの高さで、この年代の段丘としては最も高いものだそうです。20メートルあるので、東日本大震災級の津波が来ても、けっこう大丈夫なんじゃないかと思います。

ただ、危ないのは、葛川沿いとかですよね。ここ(右側の赤い矢印)、ここは葛川沿いなんですけれども、やはりここは低くなっています。そのため、ここから津波が上ってきます。ですから、一部低いところはちょっと危ないというところはあるのですけれども、おおむね、津波に対しては、二宮はけっこう大丈夫な場所かなと思います。

実は、二宮が弱いのは噴火です。

箱根山で6万6000年前に大噴火が起きています。そのときは、この黄色い範囲、ここは火砕流に飲まれました。横浜くらいまでガーッと火砕流が行ったんですね。火砕流というのは、1000度くらいあるんですね。火砕流が来たら、町が全部焼き尽くされます。箱根が大噴火したら、今の二宮はほぼ無くなります。これが一番怖い。火山灰も3メートルくらい積もっています。火砕流で焼かれ、火山灰が積もるので、二宮は地形も変わってしまうでしょう。この規模の災害が、6万6000年前に一度起きています。

このように噴火は怖いのです。ただ、箱根はまあ当分は大丈夫かと思います。直近で怖いのは富士山ですよね。富士山が噴火するとどうなるか。これは、1707年、江戸時代に起きた宝永大噴火の時の火山灰の積もり具合です。

二宮はここです(青い矢印)。この時は二宮は、だいたい20-30センチくらいの火山灰が積もっています。けっこう大変だったみたいで、古い記録をみると、中里のあたりは、40センチの火山灰が積もって、農地などがけっこう大変だったみたいです。それと、火山灰が土砂崩れのようになって葛川に流れ込み、川床が浅くなってしまって、大雨が降ったときに洪水になったという記録が残っています。

自然災害があったとき、生き残れるか?

ここで地震や津波や噴火のような自然災害が起きた時、どう生き残るかということを考えてみたいと思います。

アウトドアに詳しい方はご存知かと思いますけども、サバイバルの条件で、「3・3・3の法則」というのがあります。「3・3・3」。覚えておいてください。

呼吸は3分しか持ちません。3分呼吸できないと人間は死にます。

次の3は水分です。水分は3日無くても生きられる。4日めに死んじゃうかもしれないですけど、3日は耐えられる。

最後の3は食料です。食料は実はけっこう長くて、食料は3週間なくても人間は耐えられるんです。

この3・3・3の法則には入っていないんですけど、実は体温も重要です。体温は30度より低くなるとかなり危なくなって、25度以下になると死にます。東日本大震災の時、津波から生き残った方も、その夜に亡くなってしまった方が多かったのです。3月で雪が降っていたので、夜が寒くて、低体温症でお亡くなりになっています。体温を保つことは実はサバイバルのとても重要な要素です。

これまでの話をまとめると、二宮で気にしなければいけない災害は、地震、噴火、土砂崩壊、洪水のようなところなんですけれども、その時に大事なのは、山と川に関する被害をできるだけ最小にするということですね。

それと短期的に考えると体温です。何があっても体温が保てる。それには火が起こせればいいので、炭か薪があるといいですね。

あとは水です。火が起こせて体温が保てて、水があれば、少なくとも人間は3週間は生きられます。食料は食べなくても、3週間生きられるわけでしょう。3週間もあれば、だいたいどこからか援助が来たりしてなんとかなるので、とにかく、3週間生きる。そのために、薪炭(しんたん)と水を確保しましょうというのが、サバイバル上、大事になります。

かなり怖い話もしましたが、二宮は、よほどの大噴火が無い限り、災害については、かなり安心な場所です。けれども、今後、なにがあるかわからないので、薪(たきぎ)と水は確保しておきましょう、ということです。

吾妻山には、豊かな水が湧いている

そう考えた時、このドローン映像にあるように、二宮には山があって、薪はかなりある

では水は?水は、葛川の水がもっときれいだったらいいんですけれども。葛川の水、飲みたいって思わないですよね。だから、葛川をきれいにすることはとても大事です。そのまま飲めるくらいの川に葛川を変えられたらいいなとすごく思っているんですけれども、そこまでいくには、かなり時間も労力もかかりそうです。

でも、この吾妻山。吾妻山には、実は水が湧いているんです

これは、吾妻山のちょっと掘ったところ。吾妻山に湧いている湧水の水源部の写真です。

この湧水からこのように水路を掘っていて、こんな沢ができている。「農ある暮らしを広める会」の方々が、水田再生のために、二宮の大学団体「もりびとNOA」の人達にも手伝ってもらいながら、この水路を整備しました。

それで今、滔々とこれくらいの水路になっています。吾妻山で湧いた水が、これくらいの水がになっているんです。このように吾妻山には水が湧いています。こんな小さな山なのに、何でこんなに水が湧くのかと考えていたのですが、次の写真を見てください。

この写真の赤いところは、植生があるところ。本来なら緑に見えるところを赤くなるように加工しているんですけども、このあたり(黄色い小さい矢印)はお椀みたいになっていますよね?お椀みたいだから、雨が降るとここに水が溜まりますよね。溜まった水はこちら(黄色の太い矢印)へ流れます。

この太い矢印の先、ここが、二宮です。このあたり一帯を大磯丘陵と言いますが、我々が住んでいる二宮という場所は、こうして大きな地図で眺めてみると、丹沢の水がぶわーっと流れこんできて溜まるようなところにあることがわかります。そういう場所ですので、二宮は地下水を含め、水がとても豊かな場所だといえそうです。

吾妻山に手作業で水路をつくる

水がとても豊かなので、地下にじゅくじゅくに水があるんですよ。だから、本当に、小さなスコップで吾妻山を掘るだけで、水が湧いてくるんです。湧いてきた水を集めるように水路を作っていくと、水が水を呼んでどんどん水が流れるようになってきます。ほんとうに、小さいスコップひとつで、手入れしているだけで、雨が降らなくとも、水がずーっと、滔々と流れるようになります。だから、みなさん、災害があって水がなくて困ったら、葛川いくよりも吾妻山に行けば、きれいな水が手に入るのです。これをもっともっと多くの水が湧いてくるようにしたいなと思っています。

その時に大事なのが、この写真は水路があるところの上流部に吾妻山を登って行ったところですが、上へ行くとこんなふうにぐしゃぐしゃなんですね。もう、杉の木がばったんばったん倒れているし、倒木だらけで水路が塞がれるようになっています。こうなると、当然、雨が降った時にここで堰き止めてしまって、水は流れなくなっちゃいます。

ですので、吾妻山をもっときれいに手入れして、木の根をもっと張り巡らせて、それで土も安定して、水もきれいになるような、そういう仕組みを作っていくことが、とても大事なわけです。それは、難しい工事とかいらなくて、意外と手作業でできることばかりなのです。

手でできることという時、実はこれ、熊野古道なんですけれども、熊野古道って知ってますか?紀伊半島に1000年以上続いている道です。ずーっと昔から使われていた道で、これは、ずーっと機械を入れず、手だけで整備しています。今も、近隣の村の人たちが、1年に1回とか、手入れをすることによって、1000年以上続いている。

私は、紀伊半島に住んでいたことがあって、林野庁というところで国有林の管理をしていたんですけども、人が作った、機械で作った道は、大雨が降るとあっという間に崩れます。だけど、こうやって、人が長い時間かけて、しかも手で、ずーっとこまめに手入れしている道っていうのは、簡単に崩れないんですよね。

講演「千年続く二宮をつくるには」レポート <後半> 千年二宮への提言につづく

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